What is rock'n roll???

id:Quawabe20040521さんがロックについて書かれているので、自分にとってのそれとは何かを考えてみました。
とりあえず私は、メロウなものもダンスなものも好きなので、ハードなエッジを効かせるギターがなければロックではない、というような世間一般のイメージ通りの狭い意味でのロックにこだわるつもりはないです。
ミュージシャンの立場に立ってみると、まず存在するのは音自体やリズムに対する感覚だと思う。だから時代ごとに彼らがリアルだと捉える音に違いがあるのは当然だし、それを一言でロックだとくくるのはそもそも無理です。ただ、どこかにそうした表面的な違いを超えて存在する「ロックなもの」という形而上的な概念があるのは、確かだとも思う。
ロックンロールを生んだのがチャック・ベリーなのか誰かなのかは決めようがないんですが、あの時代に今までとはまったく異なった感覚に基づく音楽が生まれ、それが時代の感性と一致した結果がロックなるものの誕生だとは思います。そして、それは様式ではなく、やはり感性に付けられた名前だと思うんですね。
だから、もしヒップホップやテクノをロックだと思わないのが現在では当然になってしまうのなら、そこにはロックなるものに取り込まれることを嫌うアーティストやリスナーの意志が働いているのと、形而上的な「ロック」という感覚の存在自体が希薄になったことが同時に起こった結果だろうし、それは結局は後者に帰するのだろうとは思います。
様式化したロックンロ−ルという「ジャンル」が出来た時に、それは起こったのだと思う。だから、ロックが何かを考えるためにも、ヒップホップやテクノのアーティストたちが感じていた感覚が、ある感覚を示す概念としてのロックと何が違っているのかを理解しなければ、今となっては掴みようがないものになってると思うのです。
ただ、感覚を言葉にできないからこそサウンドで表現されるものなわけで、それを昔からある概念でどこまで包括的に掴めるのかどうかは本当に難しい問題だとも思います。

また別の問題として、そういう精神的なロックを自分にとっての生き方や哲学(この使い方は本意ではないんですが)のようなものとして理解するというあり方もあるし、実際にパンクを支えたのはそういう感覚だとも思うのです。勿論、これはどこまで意識的に働いたかは人によって違うものだから、法則のように機能したものではないと思いますが。


私個人の感じているものを言えば、自分はアルチュール・ランボーもワイルドもロックだと思ったし、マックス・エルンストポロックもロックだと思っています。だから、チャック・ベリー以前にも「ロックンロール」は存在したし、これは音楽の枠に収まるものでもないと思う。彼らが個人として時代と対峙して持たざるを得なかった感性であった以上、若者文化とかカウンターカルチャーともそもそもは無関係なものだったと思う。広い影響力というのは資本主義の高度化に伴って起こったことだし、それは精神や感性とは関係ないものです。
だから、もし現代にロックンロールが存在しないというのならば、それは個人が世界と対峙する場自体の喪失に他ならないし、ただ、そんなことが起こりうるとは思えないのです。quawabeさんの「ありのままの個人と世界の摩擦のこと」という言葉をお借りすれば、実際にはシステムが強大になればなるほど、それに呑まれる人も生まれるけれど、同じくらいに、それと摩擦を起こす人も現れるということだと思うのです。そして、「ロックの死」なんてものは、想像力や理解力の欠如を伴って生じる理性の誤作動によって生まれる観念としか思えないのです。

ただ私が思うのは、そうした個人の対峙というものは、常にファイティング・ポーズを伴ってるわけじゃないってことです。時代に迎合しているように見えても、また時代を忘却しようとしていても、それが意識的無意識的にはこだわらず、時代と対峙している人の生む音には私を惹きつける何かがあるってことだけです。そういう無数のあり方こそが、私が音楽を好きな理由なんです。