法律の初歩知識

バカみたいに初歩的なことなんですが、法律による規制ってことがなんなのかを書きます。
この辺りに戻って考えてみたい、っていうこともあるんですが。

そもそも「法律を作る=立法」っていうものは、王様の権力(=行政権)が強すぎて、しかもあまりに自己中かつ無茶苦茶だから、これをなんとか規制しなきゃならん、って感じで「法律によって行政権を抑える」って感じに生まれました。そして、この法律を作るために「議会」を作る。これは市民から選ばれた人によって構成されていて、敵は王様だったから、市民の代表をそこに送り込めば、結果として王様の権力から人々を守れたわけですね。ここでのポイントは、制約されるのは行政権だけで「立法に関しては法律の制約を受けない」ってことです。
この「行政権の範囲を法律の枠内に制約する」っていうのを「法律の留保」というんですが、当初は問題なかったんです。
なぜなら、人々って言っても、選挙権を持ってるのはごくわずかの金持ちだけで、他の人間は口出しする資格さえなかったから。だから、とりあえず議会は「金持ち=市民」にとって身近な存在だった。
けれど、社会が大きくなるにつれて、さすがにこれじゃ寡頭政治と変わらない、っていうことになってきた。選挙権をもっと広く人々に与えねば健全な社会にならないんじゃ、ってことになった。
要するに、議会が一般市民の代表ではなくなってきた。つまり、議会が「法律によって人権を制約する」みたいな動きを始めた。こうなってくると、なんのために立法を王様から取り上げたのか分からん、ということになる。実際にも革命が頻発して、王権が潰されたりしたわけだし、新しい統治機構を作る必要も出てきた。選挙権の拡大や、社会主義思想なんかが出てくるのも、こうした流れからです。
そこで特にアメリカ、イギリスで出てきた制度が有名な三権分立で、これは権力作用を立法・行政・司法の3つに分けて、それぞれを抑制・均衡させることで、権力の集中化を防ぎ、さらに、この三権分立の前提として、すべての国家作用をひとつの法律の下に置くことで、法律によったって人権だけは不可侵なんだよ、ってことをシステム付ける。これを「法の支配」といいます。
ちなみに、こうして設定されたいちばん大事な法が「憲法」で、だから憲法には、もしそこに書かれた人権を制約するような法律があったら、「法律のほうが悪い、間違ってる」といって、それを無しにできる力があるんです。
ただ、人権のなかでも特に守られるのは精神的自由権と呼ばれるもので、思想の自由とか信教のじゆうとか表現の自由とか学問の自由といったものに限られるので、他の経済的なものなんかは制約されても仕方がない、ってことになってるんです。
だから、今回の問題に関しては、制約されるのがなんなのか、ってことが重要になってくると思う。単に利益の侵害だって言うだけじゃ勝てない可能性が高いんです。
自己決定権に関するもの、っていうのが一番可能性として高いんですが、そもそも自己決定権は条文で明記されたものではないし、13条の幸福追求権の一つとして認めらているものです。しかも、これは「人格的生存にとって必要不可欠な私的事項を公権力の介入なしに決定できる権利」ってことで、そうだと説得できないと、なかなか認められない。私にとって、音楽は人格的生存にとって必要不可欠な私的事項なんですが、これをどこまで判断してくれるかどうかは微妙になります。いっちゃえば、音楽というか文化に対する感覚が権力は鈍すぎる、ってことなんですが、この辺りはよく分かりません。


とりあえず、今度の件に関すると、どうにも「法律によれば制約できる」っていう側面が強く出てると思う。制約される人権の数量がバカにならないくらいに多いのに、それへの配慮が全然ない。問題はアジアから入ってくる海賊盤対策だったのに、その範囲がものすごく大きくなっている。ただ、その制約されるもの=権利がなんなのか、ってことに関しては、反対してる人にもはっきりとした意識がないように思えて、ちょっと心配なんです。
逆に言えば、ここでこうした権利をはっきりと認めさせることができたなら、それは今後にとっても大きい、ってことです。文化の効用、っていうと固くなっちゃいますが、実際にこれは音楽や文化を愛する人になら、誰でもすぐに分かることです。だからこそ、新しい人権として認めさせることは必要だし、そのための要件は備えているとさえ思う。