炎舞

寝れない。どうせ後で眠くなるから、その時に眠ればいいと思う。昨日の夜はソファーに寝転がって3時間ほど眠った。おかげで新撰組のBS再放送を見逃した。
或る時期、かなりのレベルではちゃめちゃな生活をしていた。やりたい時にやりたいことだけをやった。頭のどこかにユイスマンスオスカー・ワイルドの顔が浮かんで、デカダンっていうのは、これをさらにゴージャスにやるもんなんだろう、とか思った。
きっと死の匂いを嗅いでいたかったんだと思う。高校生の頃からいつ死んでも構わないって思っていた。自殺をする勇気も、感傷性もなかったけど、死の隣にいつもいたかった。
いつからか、そんなことに興味がなくなった。なんでだろう。生きるのが楽しくなったから?いや、違う。昔だって楽しかった。不思議な快感がいつもあった。つまり、そういう意味で楽しかった。
私はどっかで誰かに乗っ取られたのだろうか。それとも、あの頃の私が蛹だっただけなのか。私はよく右手の薬指に蝶の指輪をしているのだけど、無意識がそうさせているのかもしれない。花々に蝶は群がるもの、なんて言って移り気な自分を象徴してるのかと思ってたけど。

速水御舟という日本画家がいて、昔『炎舞』という素晴らしい作品を見た。確か山種美術館にあったような気がするんだけど、炎に何羽かの蛾が群がっていて、炎の音が今にも聞こえてきそうなのに、ものすごく静かな印象を受けた。画集の解説で岸田劉生がこの炎の持つ神秘性について語っていたけれど、私は蛾のほうに関心がいった。これは私かもしれない、って思った。今はどう思うんだろう。今度、見に行こう。