Galaxie 500 / On Fire (1989)

julien2004-04-26


彼らを聞いていると、ペイヴメントのようなローファイと、ヴェルヴェッツを嚆矢とするような暗いサイケデリアが繋がりを持ったものとして見えてきます。それは、ドラッグのもたらす幻覚作用が、けっして知性と反するようなものではなく、むしろ批判性を持ったものとして機能しているのだということだともいえそうです。
実際にギャラクシー500がドラッグをしていたかは知りませんが、『ジェネレーションX』とか『レス・ザン・ゼロ』といった80年代に表れた小説のあの冷めてすさんだ空気と、彼らの音にはどこか共通するものがあるように思えてなりません。歌詞も、同じような世界を表現しているんです。

おそらく彼らと同時期に東海岸で流行ったペイズリー・アンダーグラウンド参照)の流れからも影響を受けてるだろうとは思うんですが、彼らのほうが冷めた感覚の背後に強烈な情念を隠している感じがして、個人的には別物だと思います。何よりイメージ的に闇がない。明るくはないけれど、けして夜に属するものではなく、白昼夢の世界なんです。それは、彼らがボストンで結成されたこととも無関係じゃなく、ハーバード大学の仲間3人で結成されたってことが、インテリ特有の冷めた知性のようなものを感じることと、音的には全くの別物なのに、どこかPixiesに近い感じがすることから来てるのですが。
要するに、サイケデリアの逃避的な側面よりも、その幻覚こそを現実でリアルなものだとしようとしているということで、言い換えれば、白昼夢はけして夢なのではなく、むしろそれこそが現実なのだ、という批評性をもった表現だと思うのです。
幻想的なコード進行、リヴァーブのかかったエコー、スローで水面の上をたゆたうような浮遊感の背後には、はっきりとした冷めた意識を感じるし、それは知性の冷たさと叙情性の合わさった印象の、視界のクリアな眩暈なんです。空に消えていってしまいそうな「たなびきたる雲」を眺めているような感覚。

でも、この感じは何処から来ているんだろう。こうして淡々と続いていくものが日常なのだろうか。微熱にうかされ、悪夢なんてないと思いながら、私たちはどこかで狂気や情熱との折り合いをつけなければいけないのかもしれない。現実を忘れさせてくれる音楽は素晴らしいけれど、どこかでそういう自分を客観的に眺めていたりもする。そんな時代の感覚を、ここまでリアルに表現した音楽はないかもしれません。10年以上も前の作品ながら、ここにある感覚は、紛れもなく私たちも共有できるものだと感じるのです。でも、そのままでいいんだろうか、とも思ってしまうのです。
ASIN:B0000009QN
*追記
書いてから『ジェネレーションX』って80年代だったかしら、と不安になる。