卒論指導

julien2004-04-22

今日は悔しくて悔しくて泣きそうになった。自分が完全に否定されてるような気分が1時間も続いた。
後になって、無理矢理に別の人間のレールの上を走らせられたって、それじゃ自分を出せなくても当たり前だと思った。

とりあえず、人が個人的に卒論指導受けてるのに立ち去らない学部生、さっさと消え去れ。常識的に考えて、当たり前の礼儀でしょ。なのに、人を見た目で判断して、偉そうに横槍入れてくるわ、クスクス笑ってるわ、途中で裏拳かましてやろうかと真剣に思った。先生もそういう配慮できないのかね。


そもそも俺の思考パターンはイメージの繋がりが中心になってしまうし、立ち止まってそのことだけを考えることへの恐怖感もある。
「花」の話が出てきたら、女性に置き換えて考えたりするんだよね。だから、次の言葉は「花」のことじゃなく、女性になる。論理的飛躍だって言われても、そういう連関だってあるんだから、俺が省略してる部分を考えもしないで、「話が飛ぶ」とか言われても困るわけです。まあ、これは例えだけど。

とにかく、まるで自分が色んな分野の表面だけかじってる馬鹿みたいな言われようだったけど、例えば、本当に好きな人がいたら、その時は俺だって真剣に好きでいます。けれど、そういう気持ちが徐々に変わっていく時に、他の魅力を持った人が出てきたら、気持ちは少しは揺れるでしょう。そして、それが人じゃないのなら、責任はないわけだし、乗りかえったって問題ないじゃん。そうやって、俺は色んなものに興味を持ってきたわけです。
だからって、後から「誰がいちばん好きだったの?」とか聞かれても答えられますか?一つだけ決めるってことはそういうことでしょ。他の魅力に気付けない鈍感な奴のほうが、俺より素晴らしいみたいじゃないですか。相手が女性だったら、俺はただの浮気者ってことになるけど、たかが興味がある分野ですよ。色んなことに関心持っちゃけいけないの?こんなに情報が多い時代で、どれもこれも極められるわけない。
だから、どっちが良いも悪いもなく、一人の人だけを愛する者もいれば、色々な人と付き合って様々な魅力を感じてみたい人もいる。どっちが良いも悪いもないと思う。つか、この歳で関心を一つに絞れっていうほうが無理ってもんよ。

あと、研究者の方法だけが絶対的なわけない。それ以前に、そういうのを無神経に押し付けてくるって事自体が相手への配慮に欠けるし、そういう一般常識の無さのほうが、話とは関係なく気になってしょうがなかった。研究者は度量が狭い人間多過ぎ。人に揉まれろと忠言を申し上げたい。

思うに、知性は顕微鏡や望遠鏡みたいな使い方しか出来ないものじゃない。俺にとっては翼でもあるし、盾でもあるし、剣でもある。性能だけが大事なのではなく、使い方だって大事だ。俺の顕微鏡の拡大率は悪いかもしれないけど、翼の性能は悪くないと思う。
あれは愛の鞭なのかもしれないけど、愛を感じられないなら、ただの鞭と変わらない。そして、俺はマゾじゃないんだな、これが。

まあ、例の学部生は絶対に許さないけど、先生には尊敬できる部分もあるので俺が成長すりゃいいやとか思う。他者への寛容ってレベルで。