The Durutti Column / The Return of the Durutti Column (1980)

julien2004-03-13


70年代終わり頃にデビューしたアーティストを聞く時は、まるで印象が違っても、どこかに共通する部分を感じてしまいます。それは、63年以降の音楽には必ずといってもいいくらいにビートルズの影が見られるような意味で、彼らにはパンクが色々な意味で影を落としてるように思えるのです。
Wireは「パンクじゃないものを、とにかくやりたいんだ」って言ったし、Aztec CameraのRoddy Flameは「壁からジョー・ストラマーのポスターが剥がれ落ちた」って歌うことで、何も貼られていない空間を埋めるようにアコースティック・ギターで作曲を始めた心情を歌った。初期はバリバリにパンクしていたJoy Divisionが、急速にスタイルを変えていったように、時代は確実に変わり始めていたようだし、それに合わせて新たな音楽性を追求する人達が増え始めていたらしい。
でも、彼らが音楽を始めたのは当然のようにパンクに感動したからだろうし、そういう心情は変わらないと思う。状況に対して感じることを音にすること。それこそがロックだったし、パンクだったという意味でなら、彼らがやったことも紛れもなくパンクだった。
パンクとNew Waveの境目がまだはっきりしなかった頃は、WireもPILもJoy Divisionも、みんなパンクとして扱われていたらしい。今では、みんなNew Waveに分類して聞いてしまうけど、そういう部分は大事だと思う。
というのも、このドゥルッティ・コラムを聞いてパンクだと思う人はまずいないだろうけど、でも、これを聞いてると感じる不思議な刺々しさは、たぶんパンクから来てるんだろう、って感じるんですよね。
スペイン市民戦争の市民グループから名前を貰ったというドゥルッティ・コラムは、Vini Reillyって人のソロユニットと考えていいんだけど、全曲インストで、ひたすらヴィニがギターを弾いています。対位法的な奏法と残響が残る不思議な音響処理で、他の誰も作れなかった音が綴られていく。プロデュースはマーティン・ハネット。当然のようにレーベルはファクトリー。
「夏のスケッチ」から始まり、「冬のスケッチ」を経て「in D」(ドゥルッティのD?)で終わるこのアルバムは、ヴィニの心象を歌ってるものだとは思うけれど、70年頃のシンガーソングライターのように、人々の共感を誘うものだったのかもしれません。ただSSWとは違って言葉のない音からは、推測しかできないのだけど。
あと、このアルバムの初回盤は、紙やすりで出来ていたらしい。棚にしまうと、周りのレコードジャケを傷つけるから。
ASIN:B000006YDO

追記
はてなで「ドゥルッティ・コラム」のキーワードを作った方の解説が素晴らしいです。