また敗北感。でも、つまらない相対主義は要らない。そういう慰めは本当に必要ない。


経験の差は絶対的だから、それがどれほど下らないものだろうが、私には敗北感しか与えてくれない。圧倒されるというほうが正しいかもしれない。
つまらない妄想をしないくらいには、私だって経験しているはず。いまさら過去のことを色々掘り起こしたところで、なんの意味もない。自分への慰めにさえならない。
経験は身体がするものだから、妄想の歯止めになるんだろう。だから無い人は理性や感情だけで、平気で現実にゆがみを作ってしまうのだろう。



人は自分の生息圏を結構大事にするものだ。
そこから飛び出たところで、死んだりすることはほとんどない。でも、結構傷付くものではある。それが怖いから、見えてる世界を大事にする。そこがゆらぐことを望んだりしない。
でも、そのゆらぎが少しも怖くないって人は、平気で自分を傷つける。私なんかは、それを凄いことのように思ってしまう。
多少は人より傷が多くたって、でも、彼女ほど勇敢ではないんだろう。どこかで確実にゆらぎを恐れているのだろう。



昨日、友人とチャットをしていた時にさりげなく言われたことが、私には深く突き刺さった。
自分はこうなんだ、って無意識に思ってたことがグラグラ揺れだした。それは嘘だったかもしれない。そうじゃなかったら、突き刺さるわけがないんだ。今だに揺れてるわけがない。
自分を偽りだすと、気付くとそれがほんとになってたりする。違和感はどんどん感覚のなかでエラーのようになって、無意識的に処理されるようになる。わからなくなる。