揺籠のうた

野口雨情が作詞した唄は、たとい彼の名前は知らねども、誰もが知ってるものばかり。
「七つの子」「しゃぼん玉」「青い眼の人形」「赤い靴」「兎のダンス」「証城寺の狸囃子」とか、自分自身シラで歌えます。亡くなったおばあちゃんが教えてくれて、昔一緒によく歌ってました。
大正時代に『赤い鳥』という雑誌を創刊して、童話と童謡を文学運動として生み出そうとしたグループがいまして、そこに鈴木三重吉北原白秋西條八十といった人々がいました。彼らの原動力は、明治以降の近代教育のなかで、子供たちを枠にはめようとしている社会に対しての反発であったようですが、それにしても、これほど美しい曲ばかりが生み出され、いまだに歌い継がれているという事実には驚かされます。
ちなみに雨情は『金の船』という雑誌で活動していました。
あらためて歌詞を読んでみると、子供たちをただ純粋なものとして見ているだけじゃなくて、子供たちには見えない恐ろしいものの影が自然と含まれているように思えます。
たとえば異人さんに連れられいってしまう赤い靴の女の子や、風が吹いてこわれて消えてしまうシャボン玉、白秋の「雨」に出てくる「遊びに行きたいけど傘がない」っていうところには、まだ若かった詩人たちの深い感情が表れているように思えるんです。
そう考えていると、すごく怖くなってくる。美しいメロディに乗っているから、余計に深い悲しみが潜んでいるように思えてきてしまう。
でも、それだけじゃなくて、そういった暗いものを超えて、本当に優しさに溢れているんですよね。
個人的にすごく好きなのは、八十の「唄を忘れたかなりや」が、白秋の「揺籠のうた」では「ねんねこ ねんねこ ねんねこ よ」と歌っているんです。
揺籠のうたは、草川信という人が作曲したものですが、江戸から続く日本的な旋律を持った本当に綺麗な歌です。子供の時以来、久しぶりに口ずさんでみたら、少しだけ、少しだけだけど彼らの心が分かってきたように感じて嬉しかった。