「愛されるより愛したい」?

julien2004-02-08

合宿中に親友の悩みを聞いていたら、逆に自分の恋愛観が変わっていくような感じがしました。
自分は自我が強い人にしか惹かれないし、それは自分がそうだから、そういう自分に従順な人を理解できないっていうのが理由だったんですが、日記で色々書いていて、自分は誰かに何を求めているんだろうって思うと、全然そうじゃないのが段々分かってきて、逡巡してます。
昔した恋愛を時々思い出したりしていて、酷い自己嫌悪に陥っていたりすると、結局、あれは相手に求めているようで、実は何も求めていないっていう自己中なものだったんだと考えるしかなくなる。
年上の女性に「あなたは自分のなかで回っているだけ」って言われて振られて、とてもショックだった半面、結構腹が立ったこともあったけど、実はその通りだったのかもしれない。世間的にも健全なものじゃなかったから、それを楽しんでいただけなのかもしれないし。例の、悪い病気が強く出たのかもしれない。

自分は喪失感は抱えているけれど、でも、足りないものがあるって言われれば、ほとんど無い気がします。恵まれているのはすごく自覚してます。でも、恋愛ゲームを楽しむほど、人生を達観はできないんだよね。。悪い病気は恋愛ゲームをゲームだと認識しきれないっていう子供のすることだ。そういう意味で大人になりたいわけなんかじゃないのに。

最近はバカなくらい古風になって、誰かを幸せにできればいいと思うことが多くなった。本当に大切な人のために生きたい、なんて、まるでドラマか映画の主人公みたいだけど、そういう求め方も実際にあるんですよね。守ってあげたい人がいるっていうのも、実は相手にすごく多くのものを求めているわけだし、それを自分に従順なだけとか考える必要はないんだね。

強い人は好きです。でも、自分の声がその人に届かないなら、恋愛で個人的に辛いことが多いのは当たり前なのかもしれない。
誰かに愛されることは、けして受け身なものなどではなくて、すごく積極的なものなんだろうな。自分も含めて、気が強い人っていうのは、実は寂しがりな人なのかもしれない。愛されることを積極的にできないってことだとしたら。