症例 神奈川県在住のIさん

julien2003-12-25

「いま私には好きな人がいます。ですが、私の愛がかえってその人を追い詰めてしまっているように思えてなりません。というのは、その人には精神障害を煩う彼女さんがいて、苦しんでいます。でも、彼は私のことが好きだというのです。「俺と付き合ってくれ」と何度も言われます。でも、それがかえって彼の罪悪感を増してしまっているように思えてなりません。私の存在が、彼をかえって追い詰めてしまっているのです。どうしたらよいのでしょうか・・・。」

どう、思いますか?
どこかで問題の混合が起こっていることは間違いありません。
「愛するが故に、かえってその人を苦しめてしまう」という古典的パターンのようですが、例によって、事情がいささか複雑なことも事実です。
私には、誰かを好きになることが相手を苦しめることはあっても、自分を苦しめているということには、どこかしらナルシズムの匂いを感じ取ってしまうのですが、どうなのでしょう。
「私はあなたが好き」→「あなたが苦しむ」
これは分かる。でも、
「私はあなたが好き」→「あなたが苦しむ」→「あなたを苦しめるのは私。だから、私も苦しむ」
は、あまりにもセンチメンタルで、自虐的で、ナルシスティックだと思う。
いや、よくあることだとは思います。だからこそ、こういう3流恋愛小説のようなものは止めようよ、って。


うん、苦しいのは事実だろうし、大変だと思う。でも、こういうことは、自分の気持ちの向け方だとも思うのです。
大切なのは主語じゃなくて。述語。
「私は」じゃなくて、「好き」のほうから眺めてみればいいかもよ。
好きが罪になるなんて、悪い小説の読みすぎだよ。僕が単なる理想主義者だとしたって・・ね。