二人の詩人

julien2003-10-31

ロマンティックという言葉は死につつあるけれど、完全に死ぬことはないでしょう。でも、私はほとんど使わない。使えば死ぬのが分かるから、それは言葉にしたくない。


言うまでもないことだけれど、その言葉の元の意味は「ローマ風」というに過ぎない。
ローマは史上初めてにして唯一地中海を支配した帝国。イタリアは勿論、エジプトからイングランドにまでローマ時代の遺跡は残っている。
ヨーロッパを構成した要素は3つあると言われ、一つがキリスト教。二つ目がギリシア文化。そして最後の一つがローマ文化。

でも、どうしてローマから、ロマンティックなイメージが出てくるのでしょう。それは、ローマ人たちの恋愛詩が、まさにそんなイメージの源泉だからなのです。


恋愛詩の歴史はギリシアに始まります。
それがローマに入り、カトゥッルスが恋を歌う頃には、明確な主張を持つものになっていました。
それは、政治や戦争、理想に崇高、そのような世俗的な状況を絶対視するのではなく、個人的な感情や恋をこそ、絶対的なものとみなすこと。
平和が束の間のものでしかなかった時代には、それは生きることが死ぬことよりもずっと困難なことであったように、多くの勇気を必要としながら、同じくらい多くのリスクを伴うものだった。
恋愛詩とは、そういうもの。


ローマ文学を代表する二人の詩人がいます。ともにラテン文学の黄金時代を担い、皇帝に愛されることでは共通しながら、一人は主に叙事詩を、もう一人は主に恋愛詩を書き、そして一人は称えられながら死に、もう一人は追放されて悲劇のうちに死んだことで異なった二人の詩人。その名も、ウェルギリウスオウィディウス

主に、と書いたけれど、二人とも実は叙事詩も抒情詩も書いていた。
けれどウェルギリスウスは、抒情詩に詩の限界を感じ、歴史を支配する神的な「運命」の力を時代のなかで思い、崇高さや理想を叙事詩にして歌う。『アエネイス』は、逆境を撃ち破る英雄賛歌であり、後にヨーロッパ世界全体の調和と統合の精神的な支柱とさえなった。
一方、オウィディウスは有名な『変身物語』に見られるように叙事詩でも素晴らしい作品を残したものの、その精神の自由が抒情詩を求め続けた。けれど、戦乱から平和へと時代が移るなかでは、その自由さは規律の破壊とさえ捉えられてしまうものだったのかもしれない。


なぜ、個人や感情と、歴史や政治は対立するのでしょう?どうして、理想は二人をともに愛しながら、同時に愛することができないのでしょう?時にはウェルギリウスを愛し、ある時にはオウィディウスを愛する。浮気性で、そして、なんて残酷な女。時間だけが過ぎていく。何度もあやまちの反復を繰り返しながら。そして、現在、彼女が愛しているのはオウィディウスなの?

二人の方向を分けたのは、時代のせいだったわけではないけれど、二人の運命を分けたのは時代だったのかもしれない。
そして、ロマンティックという言葉を殺すのもまた時代。ここにもひとつの消滅、La Disparition。