守ってばかりじゃいられない!!

julien2003-10-25

感情について考えていると、どこかハムレットに似てくるのかもしれません。そして「大切なのは理解じゃない、愛することだということ」。そんなふうに、すでに私は答えを知っているのかもしれませんが。

けれど、また感情のことを考えれば、そんな風に牧歌的ではいられないようにも思います。人は夢を見ているだけではいられないし、夢さえもが言葉無くしては生まれなかったりもします。
理性的でなく生きていくことはできないよ、オフィーリア。


感情を人がどんな風に捉えてきたのかを考えるには、まず自分たちのことを考えてみるのが早いかもしれません。
私たちは喜んだり、悲しんだり、怒りにかられたりしますが、その時、それをなんらかの形で表現しようとします。
喜びを身体全体で表現したり、涙を流したり、怒りを相手にぶつけたり・・その表現は多様極まりますが、そうすることで気持ちを落ち着かせようとします。感情のコントロール、共有の問題ですね。

そう考えてみれば、人の結びつきは感情の共有であるし、そこに理性の客観視が加わることで、社会や文化といったものが作られてきたということが分かります。


とりあえず、現在の私の関心の中心にあるのは、

  1. 感情の表現としての文化・社会
  2. 表現される際に理性がどのように関わっているか

といったところでしょうか。
1の文化では、学問・文芸・音楽・美術あたりをこの視点から調べてみようと思います。社会では歴史・政治あたりを考えていますが、膨大になりそうなので少し考える検討する必要がありそうです。
2においては、表現方法や藝術における様式などが手がかりになるでしょうか。重点を置くべきなのは、理性がどのように感情を抑圧しているのかといったところです。

私としては現代分析及び批判の意図でこれらを行うつもりです。