酔いどれ船は漂流する

自分は視力にばかり頼っているようですね。アルチュール・ランボーのように、幻視力に生きて、他の全てを犠牲にする度胸もないけれど。

あの人が食卓の上に秋を見ているのを知って、少しだけ笑うことができるようになりました。
ロマンチストな虚無主義者でいると、現実がかえって見えなくなるのかしら。私から見ても現実的じゃないくらいに、逆に自然でいられることが羨ましい。

結局、言葉の上で踊るのは、別な自分と割り切るのがいいのかもしれない。分かっていたつもりでも全然そうじゃないのね。
『イジチュール』のなかでマラルメが見た世界は美しいけれど、人の気配がまるでしない。彼の自宅に友人たちが集まって催されていた土曜会でこそ、幸せな彼の姿が見れたのではないかしら。

陶酔するのは簡単でも、そこから本当に自由になるのは別の話。今のままじゃ、覚醒とは何度も繰り返されることに過ぎないから。