陶酔から覚めて

julien2003-10-08

私には週に1度だけ通る大好きな場所があります。
そこには1株のバラがアーチになって、その場所を飾っています。

花というものは、咲いている時にしか通りかかる人に自分を気付かせることはできません。プルーストの『失われた時を求めて』のなかで、「わたし」が花咲く乙女たちのかげにいた頃、蕾はまだ固く、その美しさも香りも、未来に閉じ込められたままでした。彼が見出すことのできなかった時間がそこにはあるし、それは私にとっても同じことでしょう。

ただ、それだけでは終わらないものが、そこにはあるように思います。

時間が流れて行く。それは確かに未来へと続いています。
けれど、私たちはそのなかで常に今のなかにしかいられない。
時間とは、振り返った瞬間にしか見出されないもの。
私がいま見つめる花の蕾もまた、未来のある瞬間に私が振り返る時に、また見出されるものなのでしょうか。
永遠なんてどこにもない。だから、それが手に入らなくても私は少しも悲しみを感じない。浪漫主義の時代は、もう記憶からも消えようとしています。
けれど、この一瞬さえもが、私たちの側から遠くなっていく。

私は、何を美しいと思えばいいのか、美しいものを失うことの悲しみから、どうすれば、自由になれるのか。

陶酔から覚めてしまえば、街は秋の色がどこまでも続くばかりでした。

「人生とは無期限の執行猶予がつけられた死刑囚のようなもの」 Serge Gainsburg