まあね

久しぶりの更新でこんなことを書くのも気が引けるものの・・・
夏休み中に他組の人が自殺したらしい。最近聞いた話によると、今年卒業した学年でも一人そんなことがあったらしい。
加えて、何ともなければいいのですが、新学期から同じ組の人が一人来ないし、連絡が取れない。
周囲は酷く冷淡で。「嫌なニュースがあったねえ」といった感じ。「怖いねえ、ここ変なんじゃないの?」
うーん、それは冷淡というよりも冷静なのかもしれないが。それも、それぞれの自分自身に対して。


夏休み中は、自分にとって大切な人とばかりいて、それは自分にとって当たり前に大切なことを大切だと感じ、誰も本当に綺麗なものを見つめる目があって、その目は悲しい時には泣きはらし、嬉しい時は宝石のように綺麗で。
そんな人達ばかりのなかでいて、僕は当たり前のことを当たり前だと流す。それはよくないことなんだろう。それでも、だからこそ、こんなふうに文章を書くこともできるのであって。自分が見つけてきたもの、いま持っているものの凄さを感じるほかないです。感謝の言葉があまりに足りない。そういう意味では自分が本当に情けない。


学校ね、それはそれは尊敬できる教授もいますよ。その正反対のもどさりと。
しかし、いま感じているような違和感は、最初に触れた人達が感じて「いた」ものなんじゃないだろうか。
追われているのは分かる。ぼんやりと感じたものを、なんとか言語化する時間など惜しみたいんだろうなあ、それはなんとなくだが分かるんだよ。
けれどねえ、あの空気を吸って時間を過ごすと、どこか人間じゃなくなっていくんじゃないだろうか。根っこが離れて行くような感覚で、美しいものがひどく抽象的で。理想、価値、守られるべきものが、強固な言葉で語られていくうちに、それに目を触れても温度がなくなっている。
ふんぞり返って理想を語る教授。椅子の肢を跳ね飛ばしてやろうかと一瞬迷いました。「言葉が腐るんだ」。一人でも馬鹿みたいに守りたくなるのよ。


自分があそこで見つめるべきものがなんなのかをぼんやりと、けれど、しっかりと掴みなおせそうです。まあ、一人じゃしんどい。夜になってちょっとあそこから離れてみれば、一人じゃないから、そういう場所にいくらでも行けるからこそ、こんなこと書けるんです。
それを伝えたい、伝える。伝えられる人、伝えたいと思う人がいるから。