判例評釈のレポート書いてて思った。

保護観察中のガキどもがテレクラを利用して男性を呼び出し、暴行した上で現金を奪った事件で、被害者がその親達へと損害賠償請求した。この請求の仕方は判例法理で確立しているのだが、普通は中学生が加害者で、この連中に請求しても賠償能力がないという現実から、特別に親の監督責任を認めるというのが従来のパターン。しかし、この事件では加害者が全員19歳で異例の裁判。というのも、19歳で職歴もあるとなれば、保護者の監督義務も普通はそれほど無いとして処理されるし(親にあれこれ言われたり、言われたところでどうにかなる年齢でもない)、現に最高裁もそうした判断で請求棄却。

というわけで、周りの友人たちは、この判断を妥当だと言う。まあ、おそらくそうだろう。
しかし、19歳なのにあえて親に請求するように判断した弁護士の狙いは、保護観察中(しかも特別遵守事項を付されている)だということにあったはずで、この点をまるで考慮に入れない判断はどうだろうか。子供の責任が全部親にあるとは思わないが、保護観察中ということは、その前に少年院送致されてたということだが、こんなガキを教育した責任は、法的にはともかく社会的に言えばあるわけで、たまたま事件の前ではこの連中に特別な非行が見られなかったとか、19歳だから親には何か犯罪を防止するようなことはできなかったとか、そんな理由で責任を否定する論理はどうにも適当である。監督義務の程度をまずは重く設定した上で、具体的に見ていくんじゃなければ、保護観察制度の意味が無くなりかねない。
なぜなら、保護観察は執行猶予とは趣旨が若干異なっていて、犯罪者の自力での立ち直りを期待するというよりは、保護司や親達が周りで見て上げながら、がんばって更正しましょうね、ということにあるはず。しかし、保護司にはそれほどの現実的な力はないから、実際にその更正には保護者の役割が大きいのだ。だから。保護観察に付す決定がされた後に、子供が親に引き渡される時に、親にも遵守事項の説明が為されるわけで、これによって親の監督責任だって、通常の親のそれよりずっと重くなるはずだろう。

というか「19歳」っていう言葉の響きに引きずられすぎてるんじゃないのかね。普通なら勿論、大人として扱われて当然な年齢で、社会性も身に付けて親の監督なしにしっかりとやっていける人が多いのは当然ですが、この連中はそうじゃないだろう。現に、保護観察中なのに強盗やってるわけで。親が言っても無駄だから、というのと、親に責任があるかないか、は別の問題。「法的」には監督義務がまだある以上、責任を認定しても「法的」には問題ない事案では。

こう認定したうえで判断していけば、もう少し違った理由付けがなされたはずだろうし、結論も変わってきたのかもしれない。とりあえず自分は、加害者の内の2人及びその保護者の責任については、原審を破棄して差し戻すべきだと思った。
当該具体的な事件だけでなくて、他の制度との関わりなどの社会的な側面もある程度考慮しないと、まずいんじゃないのかしら。

勿論、こんな連中に保護観察処分を付して、少年院から出した院長の判断にも問題はある。ただ、それを言っても仕方が無い。
ちなみに特別遵守事項に「友達を選ぶ」というのがあって、それ自体については笑ってしまう部分もあるんですが、この事件はまさにそれが理由で起こったわけで、ちょっと笑えない。加害者同志は少年院で知りあったりしてるわけで。