瞑る

julien2005-09-26

悲しいことがどれだけあろうと恐いものなど何もない。
恐さを言葉や形にして免れる気もない。見たくないものを積極的に見ないこともない。言い訳などもする気もない。それなら黙っていたほうが遥かに良い。人に命令する前に、俺は鏡を前に命令するさ。
逃げることを非難するつもりもない。ただ消極的に目を瞑る気もない。
俺がしたいことは自分自身の延長じゃなく、俺などはしょせん主体という名の道具に過ぎないのが事実だ。それが思考の構造だ。文の構造は恐ろしい。その外側だってあろうものを、それは停止ではなく無にすぎない。停止は語れても無を語ることはできない。


子供たちはいつも楽しそうだ。そして、ただそれでいい。すべてがそれでいい。
そんな風景に対しては、俺は安心して目を瞑り、身体を休める。眠りはそんな場所にあればいい。


観念はプログラム。ずれる主体が俺、計算式は予定的に定める。あとは、はじき出される結果がすべてじゃないことを知っていればもう充分だ。
外には素晴らしいことばかり。たくさんの人々、優しくしなやかに強い人々がいる。
眺めているだけで幸せなのに、気持ちを伝えれば返してくれる人々がいる。
私も答えて、そうして返したい。だから、目を瞑らない。