ポップス奥の細道 〜十日目

今日はドゥワップじゃないポップなブラック・ミュージック中心。レイ・チャールズが表舞台に登場するのもすぐ先です。

060 The Coasters / "Yakety Yak" (1958)


偉大なグループの全米1位曲。この人達はハーモニグループみたいに書かれてたりもしますが、これは集団でロックンロ−ルしてる感じデス。
曲を書いたのは、ジェリー・リーバーとマイク・ストーラーっていう有名なソングライター・コンビで、この他にもプレスリーの「監獄ロック」やベン・E・キングの「スパニッシュ・ハーレム」など、本当にたくさん。はねるリズムのなかのこの独特のドライブ感は、その辺の影響もあるのかな。
この時代はブリル・ビルディング・ポップっていう若い職業作曲家たちが作ったポップ・ソングが大流行します。そのなかにはキャロル・キングニール・セダカなどもいて、そこが単なるポップ工場じゃないことは、彼らのその後を考えても分かる。金儲けで曲書いてるのじゃないのです。

061 Bobby Freeman / "Do You Wanna Dance ?" (1958)


高校生だったボビー・フリーマン自作のデビュー曲にして大ヒット曲。CDジャケットもオリジナルのままで凄く良い。
邦題「踊ろよベイビー」そのままの軽いノリのダンスミュージック。ひたすら続くピアノのリズムとボビーの若くて余韻を残すようなヴォーカルが、どこか切なくて甘い感じ。途中でぷちって切れて、また始まるところなんかもいろいろ思わせてくれる。素晴らしい曲です。
ちなみに、ボビー最後のヒットは64年の曲ですけど、それを作って脚光を浴びたシルヴェスター・スチュワートが後のスライ・ストーンです。繋がりも面白い。
「踊ろよ」は、73年のベット・ミドラーのカバーのほうを実は先に聞いたのですが、ほとんど別の曲。これをしっとりしたジャズ・ナンバーにする彼女が凄い。ビーチボーイズ版はCDが行方不明で改めて確認できず。「どこだ?」と言ってみても、おそらくどこかのCDケースに重なって入ってるんだろうし、膨大な数のCDの山を見てたら諦めた。探しようがない。もう、いいや。踊ります。


062 The Johnny Otis Show / "Willie And The Hand Jive" (1958)


「うわ、レイ・チャールズみたいに斬新なビート!」と思ったら、作者自身が昔していたという鉄道工事のハンマー音がヒントになったそうです。とんでもなく凄い発想だな。それに、苦労したことが感覚になってることも分かる。グレイト。
邦題「手拍子ロック」の単純さが最高なんですが(クラッシュの「ロック・ザ・キャスパーとかみんなそうなってしまう」)、手拍子だけじゃなく、色んなリズムが重なった凄い曲。あと、これ今だったら「ロック」とか言わないでしょうね。むしろR&Bに近い。時代のジャンルレスさを感じます。
彼(ら)にとっては唯一の「ポップなヒット曲」だそうですが(ジョニー・オーティスはR&Bが中心なので)、それにしても凄い名曲だよ、これは。ピッチ早くすれば、いまでも通用するかっこよさ。最高すぎる。
ロック好きでそれが血になっててソウルやブルーズがどうにも聞けないって人は、こういうのから聞いたほうがいいんじゃないかな。まずはポップから入るべし。ポップは間口が広い。職人が作るからなお凄い。そこが凄い。


063 The Kingston Trio / "Tom Dooley" (1958)


58年の最後は、モダン・フォークの先駆け3人組のこれ。
上のジョニー・オーティスに続けて聞くと、びっくりするくらいにカントリーで、つまりはフォーク。これが全米1位になるんだから不思議な時代。
ただ数年後に出る『フリーホイーリン』のディランとはまるで違う。ディランのボヘミアン気質や狂気や攻撃性を差し引いても、この圧倒的な明るさやそこはかとない諦観(つまり切なさ)は時代ゆえでしょう。
時代を突き抜けていくものに飢える感覚と、そこにあるものに満たされる感覚は、単なる個性とか若さとか、飢えだとか怒りだとか、そういうものだけじゃ計れない気がする。
つまり、この歌の明るさのなかには確かに強さもあります。なんでフォークのような強烈なビートの欠けた音楽、繰り返される同じフレーズにあれだけ政治的なメッセージが乗るようになったのか、その辺の理由はここにあるとは思います。
ただ、やっぱり分からないものは多い。昔見た、アメリカ西部の大地や風の音、匂いを思い出せば少しは違うのだろうか。