不作為に腹立つか?

久しぶりにネットで社会批判とかを読んでいましたが、理屈に理屈で答えたようなものばかりで面白くもなんともない。「言説は武器である」という言葉だけが不気味に踊ってる感じ。ていうか、マルクスレーニンも本を書いただけでそれで終わりだったか?と中学生レベルの話をしたくなる。まあ、そういう世界なんだろうからそれでいいんでしょうが。
ただ、私がそういう論説について思うのは、いちいち人間の不作為に反応しすぎだろ、と。「何もやらない」ってことが気に食わなくてしょうがない人は大勢いるらしい。
例えば、若者論の大半はそうですね。「フリーターは〜」「ゲームばかりやるのは〜」とか、みんな同じ。要は「やるべきこと(と論者が思ってること)をやってない」ことが怒りの基盤にあって、それで文句を言っている。ただ、それに合わせて政策が動いたりするから、過敏に反論する側が出てくる気持ちはわからんでもないですが。
まあ、本来ありえないですね、こんなの。人が何しようが自由ですからね。


けれど、そこに時代が影響を与えていることも間違いない。つまり、不作為が問題になりはじめてる、ってことでしょうか。
環境問題とか典型ですね。排気ガスを撒き散らすことは確かに一見作為ですが、実際は空気を吸って吐くのと同じレベルで当たり前になってることだから不作為と変わらない。これに対処するには別の作為が必要になってくる。
刑法には、禁止規範と命令規範という分類があって、前者が「それをするな」で、後者が「それをしろ」。具体的には、殺人や強盗は前者、保護責任者遺棄は後者ですね。で、やらなきゃいけないことをやらないと(保護者が子供を保護することをしなかったりすると)不作為犯で有罪になる。実際のところ、不作為を罰するっていうのは実は難しいんですけどね。
ただ、そういう方向に動くのは間違いないと思いますよ。行政の力が強くなるのも今後加速すると思う。経済にしろ、なんにしろ自由放任がやばすぎなのは素人目にも分かる。
それに、政治判断に感情が入り混じるってこと自体は、人間だから当たり前だし(感情が絡まない冷静な判断などは歴史上あった試しもない理想論)、なにしろやらなきゃならんっていう実際上の問題はあるのだし。


ただ、バカが増えたから問題が起きてるんじゃないと思う。そして、「やらない」ことが問題なのではなく、個人レベルで「やる必要がない」っていうのが実体であって、それはある意味平和の極限が生む副作用でしょう。
だから「やらない」ってことに本当に問題があるとしたら(環境問題の根源がこれだとしたら)、これにはね、単純な対処じゃ無理だよね。反論者含めて、適当な判断は危なすぎですよ。


でもね、もっと事件や問題はばんばん起きてるだろうとも思う。それも不作為どころか、人の「作為」によって。
自分と無関係なところのやらないことに文句言う前に、お前がやれ、考えろとしか言う気になれない。きもちわるいくらいに、抽象的な言説が肌に合わなくなってきた。