Sui Love

昨日、道端で蝶が死んでいた。羽を折りたたんで横たわるクロアゲハ。
何気ないもの、知らないだけで当たり前のように起きているものなのに久しぶりに見た気がする。
そういえば、最近は街で蝶を見ない。モンシロチョウもアゲハチョウも飛んでいない。
もしかしたら見えないだけで、背が伸びすぎたせいかもしれないし、目が曇っているのか、サングラスが邪魔しているのか。
とりたてて志賀直哉のような感慨に耽りたいわけでもないけれど、何か寂しかった。自分が、じゃない。「ああ、時間の流れは」なんて思う時間自体ない。皮肉とかそういうのではなく、そんなふうに世界を鏡にすることが、もういらない。
感情をね、綺麗な言葉や作品にまとめることは、結構苦しいことだと思うから。


それでも、蝶の死骸だったことは特別なものであったかもしれない。
私は蝶が女性的なものだとは少しも思わない。花から花へ、はあまりいい意味では使われない。反面、花はいつだって美しい。悲しいくらいに、夏の花は美しい。だから、蝶は、もっと悲しい。
私が見た彼は、自分がどこを飛んできたのかを覚えているのだろうか、と思う。最後の瞬間に、彼を苦しめたものはなんだろうとも思う。記憶かな、と考えて、すぐに止めた。
それよりも、寄り添って横たわるものがいないことが寂しかった。ここには、彼に似てるものがどこにもいないように思った。それくらいに、死はいつも変わらずにひっそりと、けれど昔よりも透明になって見えなくなっているように感じる。
どこかの街で誰かが火薬を抱えて走っていく。そこには吐き気をもたらすだけの真っ赤な世界があって、死は薄められない。
それが感情や理性にとってどういう意味をもつかに興味があるわけでもなく、ただ、そういう情報として伝わるものに比べると、ここはなんて静かなんだろうと不思議な気分になった。
蝶の周囲だけ、時間が止まっているような感じ。時計が壊れていたことを忘れていたような感じ。


羽を休めたいのではなく、飛ぶことを止めたのでもなく、そこだけ時間が止まってる。
何を寂しがることがあるのか、そんな声も聞こえる。たぶん、無意識に私はそれに頷く。
頷いて、少しどこかが麻痺する。痺れる。

そんな時、香りが足りない、と感じる人のほうが多いんだろう。
蝶は、甘いもの、綺麗なもの、だから、人はそれに夢だけ見るのかもしれない。美しさだけ、そこに見るのかもしれない。


でも、本当はそれは見えない。見えないものを感じたり、求めたり、それに支えられたり。実はそんなものが支配してる。
私がどれだけ考えても、感じたことを無理に言葉に変えたりしながらも、結局はそれが頷くことにしか繋がらない意味は分かった。無意識にすることのほうに、支えられることだってある。彼が孤独だったなんて考えるほうが、歪んでいるのかもしれない。

私は忘れないだろうな。それだけでも、彼は一人じゃないことが分かる。寂しがることじゃない。私は想う、感じる、考える。いつだって、そんな繰り返し。世界は、まだまだ綺麗なままでいる。