The Kids Are Alright

最近の相棒の言葉の冴えは凄いと思う。
俺のように言葉と言葉をどんどん緋色の糸で繋いでいって、そのほつれを自嘲するようなのじゃなくて、言葉を凝視する集中力が感じられていい。大好き。
正直に言って、ヤツには曲を書いて欲しい。これからもっと強烈になるような言葉を、ヤツにしか書けないメロディに乗せてほしい。俺はヤツの書いたメロディと歌詞に合わせて早く踊りたい。

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別に最近になったからといって、俺は歳を感じたりはしないけれど、むちゃくちゃ若い人たちに対して嫉妬する瞬間はある。
高校の頃の仲間たちなら、下らん、無駄だって笑うようなことを俺はめいっぱいやって、虚しいけど、最高〜、なんて思いつつ、夜一人になると自分を抱えこんで、嘲って、泣いて、そのくせ、それが楽しくて仕方なかったのだから、まあ、今更考えたところでどうしょうもない。あれは、なんなんだろう。
ただ、それがどうやら無駄になっていないと感じられるようになったのがここ1,2年だとしても、それを見える形で俺は表現できていない。そこで、俺はどこか焦っているように感じる。
いまがこんなに楽しいんだから、いまさら焦ったって何も変わらないだろう、と思ったり、確実に何かが身についている感覚があるんだから、それを続ければいいだろうと思いながら、やはり嫉妬はしてる。「ああ、あいつらガキどもはあれでいいんだよ。」と呟いてる24歳のピート・タウンゼンドみたいだ。

さて、何かを作ることはそれなりに大変なのだろうな、と思うようになった。正しく言えば、「作る」の意味が分かってきたように思う。消費は楽だが、金がかかる。そして、何も持っていない時はそれが気にならないのに、抱え始めると別の話になる。消費じゃない、消尽だよとか言って、過激に意識的になりすぎた反動?
カバンのなかはからっぽでも、なぜか妙に重たくなってるとか感じるのなら、やはり着実に歳を取ってるんだなとか妙に実感した。やはり嫉妬してる。無茶苦茶なことをまたやりたい。あれだけやったのに、懐かしがってどうするの、とは思うのだけど。それでも、やりたい。
自分の醒めた冷静さが気に食わないが、そうも言っていられない。
いい機会なので、自分を整理することにします。

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今日はくだらないメールをしました。なぜ、俺があの人をフォローしなくてはならないのだろう。
あの人が誰かに嫌われるのが嫌なのか、それとも誰かに、あんな人をお前は好きだったのかと言われるのが嫌なのか。たぶん、両方。
自分は、自分がしてしまうようなことなら何かされてもそんなに苛立ったりしないのだけど、人にされると物凄く嫌な気持ちになる。あんな感覚の下で物事が積み重ねられていたのかと思うと、自分が感じたことも、それほど特別視する必要はないかもと思えた。
必死な時こそ、大切な部分は慎重にしないとねと言ってあげたい。あの人は、いつまであんなままでいるんだろう。
フォローばかりで、実際には何もできないのがバカみたいだ。だけど、やはり別の場所にいることだけは分かって、どこかすっきりした。ようやく、また探し始められそう。石ころじゃないんだから、そんなに転がってるわけはないけど。