凶暴なもの

julien2004-11-28

調子が良い割りに、どこぞから調達した山口百恵のベストを聞いたりしているのは、何か大切なこのを忘れているせいなのかしら。
ところで、この人の曲には60年代のフレンチ・ポップスの薫がしますね。プロデューサーの人が意識しているのかもしれません。それにしても、本当に歌が巧いです。そして声が引き込まれそうなくらいに綺麗。歌謡曲だとか、ポップスだとか、さらに世代だとかも関係のない、綺麗な曲ばかりです。
初期の曲の頃は、まだ14、15だったようですが、とてもそうとは思えない。そういえば性の低年齢化とか騒がれていますが、自分がバイトで指導する限り、内面まで大人になっている子なんてごく稀です。実際のところは、幼稚化してるんじゃないのかとも思える。でも、成長が早くなっていて、事実身体的には大人である以上、大人の世界に巻き込まれる。でも、意識は子供なんですよ、完全に。
そうなるのは、子供を子供として包むような環境がないからです。夕方の公園なんて誰も人がいない。変質者で溢れてますからね。
もう一つは、子供が、資本主義の市場になっているからです。子供をターゲットにしてマーケットができていて、子供たちは与えられるしかない経済力を超えた欲望を持たされてしまう。小学生なんて、お小遣い月1000円なのに、服が一着20000円ですよ。金持ちの子供はいい。でも、そうじゃない子は、持たなくてもいいような苦しみに落とされている。「私は興味が無い」といえる子など、ごく僅かです。
そうやって侵食されているんです。誰も気付かない間に。


当時も大騒ぎだったらしい山口百恵の「ひと夏の経験」は、歌っていた当時の彼女の年齢を考えれば、今聞いても驚く部分はあります。モラル的な意味での少女を見る視線自体は、それほど甘くなっているわけでもないらしい。
問題は、性の対象として見る際に、あくまで子供として見る視線のほうにあるんじゃないのかなとか。子供を対象にする視線には、小さな大人ではなく、あくまで大人っぽい少女としてみるものが強いように思えるのです。でも、それさえも微妙で、大人っぽくないほうがいいってことなのかもしれない。そういう意味では、確かに嫌な風潮ですが、実際には、当然のように子供ですよ。相手の責任を抱えられないようなことは、取り返しの付かないほどの傷を与えるだけなのではないでしょうか。俺は、美しさでさえ金で買えると思ってはいるけれど、本当に望むものは、けして買えないものだと痛いくらいに知っています。
なんだか問題がずれた感じですが、個人的には、山口百恵が歌うような、自意識を持った発言を聞いてみたい。勿論、実際にはプロで大人な作詞家が書いているんですけど、それでも綿矢りさに代表されるようなある時期の少女が持っている繊細さではなく、私は少女が持っているどうしようもない凶暴さを見てみたい。けれど、それを大胆さとは言いたくない。溢れるような繊細さは、ガラスの動物園のように切なくて儚い。俺は、そういうものを二度と見たくない。ああいう夢を、もう見たくない。


それにしても毎日毎日、煙草吸いすぎです。灰皿を見ると呆然としますが、視線の先に煙がくゆっていないと落ち着かない。プラターズの”煙が目にしみる”でも聞いていたい。