星空

卒論を完全に放置してベンヤミンについて少し考えている。
将来の飢饉を恐れて現在の飢えを放置するわけにはいかない。

最初はアドルノ経由で知ったものだが、彼のコンステラチオーンの魅力はいまも少しも失われていない。
星空を眺めれば、今だって彼の顔が浮かんでくる。絶えざる視界の再編成、ランボーの刺客者は一人ではなかった。
ネバダの荒野で風の声を聞いたが、聞こえてくるのはそれだけではないし、誰かの泣声さえもが歌のように聞こえてくる。
寺山修司が見た荒野は、今だって人の行きかう新都心じゃないか。

警戒するべきなのは、涙で曇る私の瞳であり、悔恨や侮蔑で塞がれる口なんだ。美しい音で満たされる耳だけはどうにもならないけれど、それでも誰かの声は拾うべきなんだ。それでも感傷的になるのなら、俺はいますぐ奴隷になって地獄であくせく働く。「あなたさまのために」。


せめて口を閉ざすのは煙草をくゆらせる時くらいだとしても、言葉は選ばなければならない。
鏡にはひびが入っているくらいがちょうどいい。そんな程度で割れるものか。
時が加速するわけはない。天体は今日もゆっくり回っていく。
金子みすゞが知っていたように、見えないものだってちゃんとある。あとは子供のようにブロックを組み立てていけばいい。