宛先は・・・

無数の鏡を見ていれば、そこに自分がどのように映るのかは自然に分かってくる。
別の世界に突き抜けるための隠された扉は、同時にこの世界の前線にもなる。

いや、分かってる。ここが「わたし」の限界でもある。

そこはいわば力と力の接点でもあるし、圧力はどちらに向かうかはっきりとはしていない。
私とは渡のこと。誰かに何か渡す場所。
だからプライドは劣勢を押し返すための支えにもなるでしょう。でも、過信は世界にほころびを生むかもしれない。
相手に渡すのは「わたし」でしかなくなるから。

それは鏡の姿に取り込まれる人たちだ。そんな人はいつも呟いている。「これがわたし」
感覚が麻痺する。言葉は届かない。

気付けば、言葉に囲まれて、それを信じてばかりだ。でも、けして、それを信じていない。
いつもいつも、それを選んでばかりいる。
いったい誰の真似ですか。


中間の意味を分かっていません。それは泣く人のためにあるのに。どちらにも何もできないから。でも、僕はそんな人が嫌いじゃない。
それなのに笑いながら中間に立てる人は、どこか麻痺してるのかもしれない。相手のせい、誰かのせいにして、でも、争いは見たくない。「僕は冷静なんだ」。けれど、そんな言葉は聞きたくない。
僕は狭間という限界でそれを見ている。右と左、上と下、でも、すべての二項分立は単なる停止だ。それこそ中間じゃないか。関係はいつも動いている。

動いてるものが見えないの?だからそんな人の感情は、ひんやりとしてくる。
静かな憎しみに気付かない。けれど、それを畏れている。臆病なのを隠すだけ。でも、どこの誰がそんなに強く生きているの?


それにしても、受け取らないのはその人の自由なのかしら。
そこにいるのは自由だけれど、何も渡せないのでは僕もそこでは動けない。
その狭間に僕の限界は無くなってしまうから、彼の姿は消えてしまうんだ。


すべて瓶詰にして海にでも流してしまおうか。