それと並行して思ったこと。
個人指導塾というのは、平均かそれより下の成績の子が中心だそうだ。
だから、そういう子たちに勉強することの楽しさややる気を引き出すように指導するのがいちばん大切なことらしい。
そう考えると、自分は小さな頃から勉強で苦労した記憶は少しも無いし、一生懸命勉強しなくても成績はいつも良かった。
進学校に入ってからはいつも上の下くらいの位置に留まっていたけれど、きちんと勉強すればすぐに上に行けた。
そのせいで、勉強がたいして好きでもないのに、特技が勉強になってしまった。他の道を探すことに酷く億劫になってしまった。
美術が好きだったし、先生は凄く僕の作品を評価してくれた。そういう方向に行く道だってあったはずだ。こんなに音楽が好きなんだから、楽器を手に取ったってよかったはずだ。バイオリンでもギターでも。
でも、僕は広義の学問から離れられなかった。まあ、空白の時間はそのせいでもあるんだけど。
考えれば考えるほどものすごいバカだと思う。今でも全然変わらない。何もかも中途半端。広く浅くを地で行ってるようなもんだ。ニューアカのバランス感覚なんかには興味無いし、ますます何かの専門家にコンプレックスを感じてしまう。だから、今は法律を勉強してるんだけど、肌に合いすぎて、逆にとても怖い。自分のなかのダークな部分が全開になる。すると、これから先はさらなるロクデナシになるように思えてくる。
時々感情的でいるほうがずっと楽しくいられるのかもしれないと思う。滅茶苦茶になるけど、自分のそういう部分は結構好きなんだ。でも冷静でいようとすると、物凄く「悪」になる。


僕が家庭教師で教えてる子は、頭は悪くない。むしろ良いと思う。勉強はそれほど好きでもないみたいだけど、教えればきちんと理解してくれる。
だから、効率第一の僕の教え方でも問題なくやれる。少ない勉強時間で効率を上げれば、他の時間でいくらでも遊べる。勉強に費やす時間なんて少なくできればこれに越したことはないはずだ。みんながみんな勉強好きなわけじゃない。でも、そう出来る人と出来ない人がいるんだよね。結構、忘れがちだよ。
僕の発想には、結構切り捨ての発想があるのかもしれない。無駄なことはしない、というような。でも、努力を結果に結び付けられなくて苦労してる子の気持ちなんか分かってないのかもしれないよ。僕自身は「エリートへの道」のバカらしさに嫌気が差して自ら転落してったわけだけど、それでもどこかに鼻持ちなら無い感じが残ってしまっているのかもしれない。きっと匂うんだろう。それを見抜かれるのが酷く怖い。