リアル 其の弐 

quawabeさんが書かれていたことを自分なりに考えてみる。
sexは潜在的に常に存在しているものですが、最近はあまりにオープンになりすぎて違和感を覚える。というか、イメージ的には不感症にさえなりそうですね。隠されているからこそ、隠微であったり退廃的な匂いさえ漂わせているものが、公然と語られる際に感じる健康さはなんなんでしょう。不健康とは言わない。でも、健康的だとも言わない。単純な二元論で分けるべき問題じゃないでしょう。何を根拠に健康的なんだか分かりません。隠そうとする風潮があってこその開放じゃないですか。それが最近は肯定論一色です。最近じゃ、子供を食い物にするビジネスまでもが堂々とのさばってるじゃないですか。
羞恥心は人間が自意識を持った時から伴っているものなんですよ。sexの開放的な面ばかりが溢れているけれど、秘密にしなければならない部分はあるんじゃないですか。
ここで子供たちのことを考える。たぶん私なんかが過ごした時期に比べて、全然感覚は変わってるんだと思う。そんなのは少女マンガを読めば分かる。
さらに最近じゃ堕ろすことが普通になってたりする。そういう話は周りでもよく聞く。そりゃ堕胎は昔からありましたよ、確かに。でも、それは公然とされるものじゃないでしょう。水子供養を考えると、潜在的に罪の意識を伴うのは当たり前じゃないですか。身体感覚は、からだだけの問題じゃない。こだわりを持つことは、そんなに時代遅れなんですか?
反面の虚しさを忘れすぎですよ。そういう意味じゃ、バタイユは実に深く考えてました。

もう週刊誌の中吊りを見るといつも不愉快になる。「性の氾濫」なんて言葉を使う気にはなれないけれど、肯定は否定の先にあるものです。私はサークルでエイズ関係のことをしてたりするんですが、フリー・セックス肯定論は、ディスカッションの時にこてんぱんに潰してやりました。セックス肯定と、フリー・セックスは別問題だ。彼氏・彼女がいるのに、そんな不義理なことを肯定できるわけがない。エイズ対策の最近の論調はゴムを使えとしか言わない。行政が単に逃げてるだけだ。エイズになる=自己責任にしたいだけだ。
うーん、私は周りから女たらしにだと勘違いされてるようなんですが、実際にそういう感覚で付き合うってことは無いんですね。バカの一つ覚えみたいに、週刊誌が騒ぎ立てることに慣れるのはほんとに嫌だ。ここでもリアルばかりが鼻につきます。

。。。うーん、何に対して苛立ってるのか分からなくなってきた。