雑記

julien2004-02-16

Jane's Addictionのボーカル、ペリー・ファレルが以前にこんなことを言っていた。
「方法が二つある。あらかじめよく考えて、絶対に失敗をしないか、それとも、実際に失敗して、その痛みを感じて、そこから学ぶか」
「自分は後者だけど、実際に感じるのが好きなんだ。変なんだけど、『最高の方法は失敗することである』っていう神秘論者が何人かいるんだ。失敗を犯してから正しい答えを持ってまた戻ってくる人は、最初から正しい答えを出す人よりも上位に進む。」
「だって、そうするといくつかのことが分かるだろ?まず一つに、失敗を犯さないこと。第二に、どうすれば失敗を犯さないですむか、ということ。でも、最初から正しかった人には、失敗を犯さないでいることしか分からない」
単純に思えて、結構、深かったりするこの発言。
大事な点は、その失敗がどういうものかってことだろう。取り返しのつかないものじゃ、失敗してからじゃどうしょもないから。でも、そんな失敗って、それほどあるのかな?私には、大切な人を失うこと以外に、失敗なんて無いと思うけれど。
あまり現実的に、器用に生きるのもどうかと思う。幕末とか、激動の時代には魅力的な人が多いけど、その大部分は「失敗した」人たちなのじゃないかと思う。でも、みんな輝いてるし、また、多くの人がそういう人達に惹かれるっていうのも、その辺りを感覚的に分かってるからじゃないのかな。何かに負けたって、格好いい人は、いくらだっている。
あまりにも、せかせかせこせこしてると、大事なものを失ってしまうようにずっと感じてきたし、それは間違ってないっていう確信はある。自分の感覚って本当に変わりやすいのに、それをひとつのイメージに無意識に縛ってしまう・・・。でも、自分って、絶対普遍のものなんかじゃないよね。社会の一部になることは、けして間違ったことなんかじゃないけど、たえず変わる自分を無視してまで、狭い場所に押し付けられて、どんどん自分をすり減らして、でも、それでもやらなきゃいけないことに、意味なんてあるんだろうか?



今売りの『MEN'S NON-NO』で、スタイリストの熊谷隆志さんが面白いことを言ってた。
「自分を理解する前に、自分を好きになる人が多すぎる。」
うん、自分の何を信じていればいいのかは分かったけど、私はまだ好きになれないままだ。
自分の理性や感情なんか信じてない。そんなものはいくらだって変わるし、実際に自分は、思いついたことを口にすることがたくさんある。でも、その時の自分にとっては嘘なんかじゃなかった。ただ、どんどん変わっていくなかで、そういうものが絶対的じゃないってことを思いたいだけだ。自分を絶対的なものなんて考えていたくないだけだ。
それは、変わっていく自分に正直にならないと生きてなんかいけないから。



世界をぼんやり見ていると、自由って言葉の意味がよく分からなくなってくる。
自由って言葉の起源を学んで、それが昔の人が信じていたような、美しいものじゃないってことを知っても、たいして意味はなかった。
私にとっては、その言葉が人に与えてきた夢のほうが、ずっと大切なもののように思える。嘘だっていい。嘘から生まれたものだって、夢は本当に美しいものだよ。

自分はこれからもどんどん変わっていくだろう。今の自分からみれば、裏切りに近いものに変わることだってあるかもしれない。でも、私は、そんな変わっていく自分を、否定したくはない。
変わる自分を信じていたい。逆説的に響くけれど、それが変わらないものってことだ。