河合継之助

昨日、河合継之助について書いたので、この知られざる英傑について少し紹介します。
彼は幕末に、長岡の家老にまでなった人で、類い稀な指導力と先見性を併せ持った軍政家なんですが、陽明学の信奉者であり、かつ武士であった彼は、時代に逆行するように新政府軍を敵にまわさざるをえなくなり、凄惨だったことで知られる長岡戦争を起こした結果、政府軍を苦戦させるも、最後は流れ弾にあたって戦死してしまうわけです。


不幸なのは彼が長岡という小藩に生まれたことですね。
もし、と仮定することが無意味なのを承知のうえで言うのですが、彼が例えば薩摩藩に生まれていたら、大久保利通に匹敵するような宰相になったでしょう。
結局、人の力というものは、その環境に制約されてしか発揮されないということでしょうか。


そういえば、始皇帝の右腕として中央集権制を確立させ、思想管理としての悪名高い焚書坑儒を行ったことで有名な李斯は、最初は食糧の管理をする小役人をしていましたが、ある日、厠で汚物を漁りながら、人が来るとすぐに逃げ出す鼠を見ます。その後、食糧の貯蔵庫で、人間や犬が来ることもない環境で悠然としている別の鼠を見るのですが、その時にこう思うわけです。
「賢い人間と愚かな人間っていうのも、つまりは鼠のようなものだな。居る場所で決まるんだ。」
彼はその後、学問を始め、宰相の位にまで登りつめるわけですが、最後は、哀れな死を迎えることになります。

安能務氏は、李斯のことを「超一流のB級人物」と皮肉を交えて言っておられますが、言い得て妙だと思います。
そして、河合が、そうではないことは、その逆を生きたからなのではないかとも思えてきます。「二流のA級人物」と言ったところでしょうか。

私が河合に惹かれるのは、自分の信念のために死ぬようなところに、イデオロギー的なものとは違う美意識のようなものや、真剣さを感じるし、それでいながら、遊びも粋にこなすようなところになのですが、これに巻き込まれる人はたまったもんじゃないですね。。。
実際、彼のお墓は、地元の人によって、何度も破壊されたようなのです。

彼について、もっと知りたい方には、司馬遼太郎の『峠』をお薦めします。割と地味な作品ですけど、新潮文庫に入ってます。個人的には『燃えよ剣』と並んで、いちばん好きな司馬さんの作品ですね。