水の星に愛をこめて

julien2003-11-12

この数年、異常なほどにガンダム人気が復活して、人後に落ちずに愛している私としては、少し複雑な気持ちだったり。
カッコいいとか、(・∀・)イイ!!とか、そんな感じで見るのも全然構わないことなんですよ。見方は自由だし、人の数だけの解釈があっていいわけだし。


ゲーセンで人気ありまくりだったゲーム『連邦vsジオン』の続編で、私が愛している『Zガンダム』を舞台にした『エゥーゴvsティターンズ』が最近、大人気なようです。
うん、シロッコハマーンの世界を覗けるのは楽しいですよね。

でも、私はあまり興味ない。

なぜなら、Zガンダムって、愚か過ぎて、醜すぎて、悲しすぎて、美しすぎる人たちの世界でしょう。ゲームで気軽に楽しめないのです、私は。
初代よりも、ずっとずっとテーマを重くし、多くのことを描こうとした結果、全50話という予定された制限の枠を、さらに言えばアニメという枠を壊せずに、話も人も半端な形で散ってしまった、そんな作品なんです(と、私は思っています)。
最終話からひとつ前の話、タイトルの「生命散って」通りに、自分の枠を破れずに、多くのキャラクターが死んでいく。

私は、あの作品のなかで特定の好きなキャラクターをもてません。
(あえて言えば、パプティマス・シロッコかな)
それは特に切ない女性たちに、例えば、レコア・ロンドエマ・シーンが二人で一人の女性だったように、また、フォウ・ムラサメは恋愛を通さずには、一人の人間であることもできなかったように、自分が自分であることもできないような、そういう悲しい人たちの居場所が戦場でしかなかったということが、一人の誰にでも好かれるような魅力的な女性を生み出せなかったんじゃないでしょうか。
でも、その一方、クワトロ(=シャア・アズナブル)のように、理念がなければ自分を保てない男が、「子供」であるカミーユの前では、「大人」でしかいられないところなどには、私は凄く人間らしさを感じます。

だから、たぶん私は誰も好きになれないんじゃなくて、逆にみんな好きだからこそ、特定に絞れないだけなのかもしれない。
見ている時には憎憎しいだけだった、ティターンズジャミトフ・ハイマンバスク・オムでさえも、死んでしまったあとには、くっきりと時空に空白を残していくのです。

個人的には、クワトロにシロッコ、そしてハマーンの対決を、もう少し見たかったですね。カミーユが絡んですべてが無と消えましたが、クワトロもシロッコもいなくなった、たった一人のハマーンは、ZZにおいて美しいけれど、コーティングされたバラのようです。