John Everett Millais (1829〜1896)

川辺に佇むの彼女ではなく、川に流されていくオフィーリア。狂気をさまよい、ハムレットから離れて一人死んでいく彼女を描いた"オフィーリア"。有名なこの絵を描いたのが、象徴主義のラファエル前派に分類されるミレイです。("種をまく人""落穂拾い"で有名なミレーとは別人)

ラファエル前派(The Pre-Raphaelities)は、ラファエル以前に絵画を戻すことを主張し、歴史的な主題をはっきりとした色彩、緻密な細部描写で描き、象徴主義の一流派としてひとつの流れを作りました。
文学や歴史から主題を選びながら、彼らが描くのはそのなかでも特に「感動に満ちた瞬間」でした。それは、彼の"OPHELIA"からもはっきりと感じ取れるものです。
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幼少期から神童の誉れが高かったミレイは、多くの人々から支持され、莫大な冨を築き、英国ロイヤルアカデミー会長にまでなりました。
しかし、そのように大衆から広い支持を受けた彼に対して批評家が冷たい態度しか取らなかった理由は、彼の絵画の通俗性にあります。
莫大な富を得るということは、ポップになるということでもあります。
ベンヤミンの言い方を借りれば、大衆社会において、藝術は複製されるものとなり、本来に藝術が持っていた神秘的なもの、デモーニッシュな部分は確実に失われてしまいます。
ミレイの絵には、その典型的なパターンが覆うべくもなく表れています。
私は、ミレイの絵を見て、語りだす物語に耳を澄ますのが好きです。けれど、確かにそこに言葉にできない神秘的なものをあまり感じ取れないのも事実なのです。



ミレイにはスキャンダルを起こして世間を騒がせたことがあります。

当時の英国には、ジョン・ラスキンという大美術評論家がいましたが、彼こそがラファエル前派のイデオローグでした。シュルレアリスト達にとってのブルトンのように、ラスキンが彼らの藝術を擁護し、彼らへの評価を決定付ける際に大きな働きをしたのですが、そんな彼にも実は致命的な欠点がありました。
彼にはエフィという妻がいましたが、二人の間には性的な交渉がまったくなかったのです。
その原因はラスキンにあり、彼は女性の身体が思っていたものとは違った汚らわしいものだと思っていたのでした。
休暇中にラスインを訪ねたミレイは、そこでエフィと恋に落ちます。
彼女はラスキンに対し離婚を巡る裁判を起こし、こうして、二人は結婚しましたが、ラスキンは終身、女性と正常な関係を持つことはなく、何人かの少女を恋の対象としながら、最後は精神に支障をきたし、寂しく世を去りました。

この話から思うこと。
まず、ラスキンは典型的なロマン主義者であり、象徴主義者でした。彼は最後の病がそれを示すように、象徴の世界=夢の世界の住人であり、現実を愛することのできない人間だったのです。
彼が少女を愛し、女性を愛せなかった原因は、女性の性徴にあるようですから。

それに比べてミレイの人間的たくましさ。そういう彼を思うと、彼を象徴主義者とはもはや言えない気がします。彼は象徴のなかの夢よりも、現実の幸福や名誉、財産のほうが大切だったのでしょう。


私がミレイの作品に惹かれながら、彼自身にはほとんどなんの興味も湧かない理由は、このあたりにあると思います。