ドローイング

julien2005-02-13

昨日は友達たちといまや定例になってるような飲み会で夜まで飲みまくる。不思議な縁で出会って、私なんかは別のとこに微妙にいる気もするけれど、でも、感覚は変わらないんですね。どっかはしっかりがっちり繋がってる感じ。

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自分を裏切らないとか、そういう表現で自分の意思を考えたことはなかったのですが、結果的にはそうやってきたのかと思う。でも、うーん、どこかで、自己弁護、自己正当化をしようとしてる気もするのが癪には障るけれど、自分自身が嫌な時はすぐに顔に出るように、耐えられないのだからどうにもならなかったわけで。
周りがどうした、いや、こうしただとか、俺はこうだ、こうしなきゃいけねえなとか、ごちゃごちゃいろいろそんな風に考えていることは多いわけですが、その結果で楽しい気分になったこともなければ、後で笑えたこともないわけで、自己正当化だろうが、それでいいんじゃねえのと思う。
無駄だなあと思うのは、そんな風に考えていた時のことばかりで、そんなつまらんことじゃ意味ないってことか。いや、実際そんなふうに考えるのはいくつになったって変わらないわけだから、まあ、実際のとこはみんな言葉にしないだけだろうけど。
偏屈だとか、近づきにくいだとか、恐いだとか、大人気ないだとか、かといって、自分なんざどうでもいいって部分もあります。けれど実生活で、社交性無視したりだとか、無礼だっていわれたりしたことはないわけだから、その程度に自己中でも問題ないんじゃないのかしらね。
周りに合わせることと保守化には、結構くっきりしたラインは引けると思う。
そこで便利なのが「装飾とスタイル」。こいつらは最良のカモフラージュ。やはりファッションとは鎧ですよ、私には。差異化、自己表現、裏返された自己防衛。なんだっていいけれど、見えないものに意識過剰になる前に、見えるものが与える情報には敏感でありたい。
あとは、自分の感覚に意識的であって、麻痺しそうになったらすぐに立ち止まること。同じくらい、どきどきすることやわくわくするものには、いつも目を輝かせていたいな。

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ボールペンの替芯を買ったら、アルファベット1文字見落として、見事に長さが合わない。うーん、深いな。こんな風に、神様は時々、深いジョークをわたしめに下さります。
で、そこは池袋のロフトなんですが、妙にお綺麗なお姉さま方で満ち溢れてるかと思いきや、みなさまラッピンググッズでお手手がいっぱいなご様子。なるほど、明日はそういう日でしたね。忘れてました。うーん、ここ2年間はこの日を完全に忘れています。
それにしても、手作りって、昔からこんなに一般的でしたっけ?
で、思ったのは、不思議なことにこういう風景に直面しても羨ましいだとか、切ないだとかになるわけでもなく、かえって微笑ましくなって良い眺めだとか思ってました。って、こういう諦観が、彼女がいようが昔からあるのだから、何も求めていない人のように思われるんだろうな。自己完結人間。


さて、で、その明日は前夜祭イベントでクラブです。お酒飲みながら音楽漬けです。他の人が何をかけるのか楽しみでわくわくする。まあ、私は半分以上で気楽に、かなりふざけて曲をかける予定です。くれぐれも期待なさらずにΣ( ̄ー ̄ )
テーマは「もっと自由に、お描きなさい」