「奇妙な夫婦だ」

以下は本当に内輪の話なので、読まずに飛ばしてくださいm(_ _)m


問題が起きる時は、不思議と続くものですね。自分の精神状態がトラブルを惹き起こしているのでは、という疑いさえも持ってしまいそうです。
それに、この問題は全くの無関係ではないのです。

例の実にバカバカしい騒動のおかげで、私はサークルの合宿へと行けなかったわけですが、実に惨憺たるものだったらしいのです。
新入生などの初めて合宿に参加する人が、初めてじゃない人を人数的に上回っていたこと、私と友人のNノが不参加だったこと、身体的にとても世話のかかる人が一人いたこと、その他諸々の要因が重なったことがその原因だとは思います。たしかに、そう思いますが、私はとても悲しいです。

みんなが、お互い思っていることを話せないような雰囲気を「放置したこと」が。
そして、そうなったにも関わらず、それをなんとかしようとする動きがあまり無かったこと。
私は、このサークルを作った一員としての責任もあるし、参加できなかったことへの償いもある。
このサークルには、様々な事情によって辞めていった友人たちの想いが今でも残っている。私はそれを知っています。そして、現にいる大好きな仲間たちの感情が冷めていくのを見ているのは、私にはもっと耐えられない。



さて、次は俺の番だ

それにしても、この状況を放置して自分たちの幸せに埋没しようとする連中!!ああ、はっきり書いてやる。そんな連中を、俺はどうしてやればいい?
なぜ、こうした想いや感情を、そんなに簡単に放っておけるのか、俺には全然分からない!
何より、天秤にかけられることが、片方を犠牲にして、いとも容易に個人的な幸せだけに埋没しようとすることが、俺には分からない。
そこで伸ばす手を、なぜ別のことに使えない??
それで「幸せ」か?
あんな言葉は聞くんじゃなかった。
信頼は言葉じゃないんだ。幼稚でいて、それで許されるのは、世界が平和になってからにしろ。
陰で動いてるのか。それも結構。しかし、俺が言わなかったら、お前は動いたか??
俺に言えないような幸せね。だから、俺はこの間聞いたんだ。つまり、こういうことを畏れるからだ。それを責められると思ったのか?
嘘をもう少し上手くつけるようにするんだね。
分かったのか??




自分に出来ることはなんでもやろうと思います。
先月の騒動、自分の限界を知らされたことに比べれば、自分がいくらでも動けるこの状況。たったこれだけのことが、なんて素晴らしいんだろうと思えてきます。
そして、私はみんなを信頼している。こんなに風景が寂しくたって、これがどれだけ幸せことが、私は身に沁みて痛感します。


来週の水曜に、1年生を抜きにしたミーティングを提案しました。これはなんとか実現できそうです。
勿論、僕はNノと真ん中にいようと思います。これは強制される「中間者」の位置です。そして、この場所にいられることの矛盾と幸運を実感するのです。はたして瓶詰は届くのでしょうか?