"Loss"疑惑

最近のこの事件は、一体なんなんでしょうか。

日本の最高裁が無罪と判断した事件を、なぜアメリカのたかが州警察ごときが、改めて逮捕できるのか。

カリフォルニア州法では、一時不再理を無視した判断(遡及処罰さえ)ができるというのですが、このような法律が成立したこと自体が理解できない。
一時不再理というのは、ニュースで報じられている通りの内容ですが、これって憲法にも明記された刑事法の大原則ですよ。日本に留まらず、まともな立憲国家であったら当然に認められている大原則であって、そもそも日本の憲法にそう規定されたのは、合衆国憲法でも定められているものだからであって、アメリカ人が「押し付けた」ものです。個人的には、このようなものを押し付けたこと自体は感謝すべきだし、単なる主観を越えて守るべきルールでしょう。それが、なぜたかが一つの州の法律で、これを無視するようなことを定められるのか。
確かに、一時不再理は、必ずしも国際的にも適用されるルールとは言えないかもしれません。日本の憲法にある一時不再理は、アメリカには及ばないとも考えられる。しかし、国外で犯した罪をも一定の場合は国内で起訴、処罰できるというのが、国際的な刑事法のあり方である以上、これに伴って、一時不再理の効果も、国際間で認められるのでなければ、意味がない。今日のように、人の動きが国際レベルで起きている以上は、刑事法の大原則も、それを共有する国家間では通用すると考えなければ、恐ろしい世界になりかねない。
なるほど、カリフォルニアでは移民による犯罪が多く、その母国法では軽く処罰されるだけだから、カリフォルニア州民にとっては耐えられない事態が起きているという。その反応は自然でしょう。しかし、それは国と国との外交問題であって、たとえばメキシコの量刑を合衆国と同じレベルに重くしてもらうように政府間で話し合う、そういった手続で解決すべきであって、一つの州が、刑事法の大原則を無視してまで立法によって解決すべき問題ではない。
また、ある人物が限りなく有罪の疑いが強くても、有罪認定するためのルールを厳密に定めた以上は(つまり、たった一つの冤罪を防ぐために、より多くの本来は処罰すべき人間を無罪とするような制度を選んだ以上は)、それはやむをえないこととして受け入れるしかない。
Mが日本の裁判で無罪になったことが多くの人の希望に添えなかったとしても、現在起きている状況に対し「やっと奴を処罰できる」などと考えるのは、部屋が暑いからという理由で窓や門を壊してしまうようなもので、一瞬風通しがよくなっても、寒くなったら困る、泥棒が入ってきたら困るという、後の状況をあまりに軽視しているのと大して変わらないことに思える。


判決が確定しても、再審という手続でこれをもう一度争える制度があります。しかし、これは有罪となった場合にのみ適用されるルールで、無罪になった後に、後から有罪を確定しうる証拠が出てきても、再審で争うことはできません。
ほかにも、警察がひどい違法捜査をして証拠を得ても、その証拠は、裁判のなかで証拠として採用できないというルールがあります。どんなに、その証拠が本当に被告人が犯罪を犯したことを証明できるものであっても、そのような証拠を使うことは許されないとされています。これは、そんなことをすれば、警察はいくらでも違法捜査をするだろうし(歴史を見れば警察がひどい捜査をすることはいくらでもある)、証拠として認めることでそのような捜査を裁判所が結果的に認めれば、だれも裁判所の判断など信用しなくなる。
つまり、刑事制度というのは、犯罪者の処罰を絶対的としているのではなくて、それ以上に、人権を守ることを絶対ルールとしているわけであって、たとえ結果的に有罪のものを処罰できないことにあっても、それをやむをえないものとしている。
それが、ひどい歴史のなかで、それを反省した後の人々が産み出してきたルールであり制度なのです。


なぜ、日本の政府も国会も、裁判所でさえも、現在起きていることに対し無口で冷淡なのか分からない。
カリフォルニア州がやっていることは、私たちの国の制度(のみならず、自分の国のルール)を否定しているのと変わらないように思える。
三権分立のもと、一国の最高裁判所の判断を無視するようなことは、あきらかに主権の否定ではないのでしょうか。別に、私はナショナリストでもなんでもないですが、そういう人が大勢集まっている国会は、なぜこういうことには不感症なのかわかりません。
捕鯨調査船への環境団体の妨害行為に対して怒り、中国のギョーザの日本で混入されたかのごとき発言に対して怒るなら、この問題については、なぜ冷淡なのか。あまりにもイマジネーションが欠けすぎじゃないのか。
どんな人間であろうと、仮にも国民が別の国の州に、最高裁の判断を無視した状態で拘束されてるというのに、しょせん、国なんてこんなものなのか、政治は法よりも強いのか、と、なかば悲しい気分になります。


ちなみに、私自身はMが犯罪を犯していないとか思っているわけでも、Mに個人的な親しみがあるとかそういうわけでもなんでもありません。
ほかの人がそのことに関してどう思っていようが、それも非難するつもりも全くないです。
つまり、私や多くの人のMに対する感情などは、本来「どうでもいい、まったく関係ない」問題なんだと言いたいわけです。

これじゃあ、ロス疑惑のロスはロサンゼルスなんかじゃなく、Lossだろう。そっちのLoss疑惑のほうが私には大きい。
喪失、敗北、まさにロス。I'm at a loss!